気持ちの良い青空、目にまぶしい青葉に心奪われていたのもつかの間、天気予報の雨マークにため息をつく季節に移り変わってきました。6月の季語には「蝸牛(かたつむり)」「蛙(かえる)」「みずすまし」「あめんぼう」といかにも雨が似合う生き物たちが並びます。「紫陽花(あじさい)」「杜若(かきつばた)」といった花は、雨つゆに濡れてさらに美しく、私達の心をとらえます。そんな花に出会えた雨の日はちょっと得した気分になりますよね。
少し別の意味で、雨の日の憂鬱から気持ちを遠ざけてくれるような句に出会いました。
映画のワンシーンにでもなりそうな句です。雨は人を感傷的にしますが、人を想うときのセンチメンタルな気持ちは、憂鬱とは似ていて非なるもののように思えます。愛する人、あるいは愛した誰かを想うそんな気持ちと雨の情景はとてもよく合うような気がします。別れの記憶が、雨と重なっている。そんな人は案外多いのでは…?
雨の憂鬱を少しだけ甘いセンチメンタルな気分に変えるとき、心の中に風が通り抜けるような新鮮な気持ちを味わいました。
※長谷川素逝
「はせがわ そせい」
1907(明治40)〜
1946(昭和21)
大阪生まれ。虚子門。9歳の時、津へ。京大卒業後、母校津中で教鞭をとりながら、俳誌「阿漕」を主宰。1937年砲兵少尉として中国に出征。中国各地を転戦。そのさなか南京攻略を目のあたりにする。晩年は清澄ににして繊細な句境、流麗なリズムによって田園風景をうたった。
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